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  池坊専応(いけのぼう せんのう)[Web]作者(筆者))   
 いけばな百科 流派・人物
生没年-文明14年(1482年)〜天文12年(1543年)
京都頂法寺(六角堂)の僧で、『専応花伝書』(『池坊専応口伝』)の著者。
塙保己一編『続群書類従』(巻第五五三遊戯部三)他、四本の伝本が伝わる。
池坊では、華道の基本として継承され、「大巻」と呼ばれている。
『池坊専応口伝』
欄外注本文)
北白川会のホームページに詳しい説明があります、
[Web]
  いけばなの形[Web]作者(筆者)) 広瀬典丈[Mail]
 いけばな百科 スタイル
古典いけばなの大半は、後ろに背の高い枝<しん>を置き、手前にそれより低く草花<下草>を置く、二種で構成されている。枝も古くは常緑樹が多く、樹木−永遠性、草花−瞬間の華という対比、生命と生成に関わる祭や劇の文化を感じさせる。枝を『古遠』、草花を『新近』とする時空的な遠近法は古い伝書にもある。
いけばなの形は、自然景観と身体という二つの極を持つ枠組、共鳴形態と考えられて来た。もちろん実際の景色ではなく、例えば、足元一本に三本の役枝を持つ樹木のような形だ。それは、森羅万象に神々を見る古い信仰や華厳的な世界認識、禅・阿弥陀経・朱子学・易学なども響きあい融合した、曼陀羅にも似た自然の『似姿』である。
他方、いけばなは人の見ぶりの外延として意識され、身体の比喩でも語られて来た。
詩歌、劇、物語、絵画、音楽などに現われる季節の感受の対象はいくらもあるが、とりわけ草木・花実は人の身体や心と即応する場を持っている。
切った草木を回すと、日裏・日表、枝の右振り・左振りが示される。今度は茂った葉や花の部分を少し残して他を取り去ると、残された葉と花は前とはまるで違った密度で人の目に迫る。草木は、ある部分が省かれ他の部分が強調され、全体としては自然よりもずっと単純な形を与えられていけばなの構成に入る。
「いけばなの形」について(広瀬典丈)
欄外注本文)
目眩めく生命の祭―勅使河原蒼風の世界(広瀬 典丈) →[Web]からの引用です。
  いけばなの起源 作者(筆者))   
 いけばな百科 歴史・文化
いけばな(華道)の起源は、常緑樹を神の依り代(よりしろ)と見る古神道や仏教の供花など、信仰とつながる行為と考えられている。しかし、いけばな(華道)の成立に最も大きな影響を及ぼしたものは儒教の礼式(れいしき)であろう。
いけばな(華道)の成立が確認できるのは、室町時代から戦国期に、儒教の礼式、「家礼(かれい)」を受けた「室礼(しつらい)」、つまり、家の祭・儀式を演出する座敷飾りの典範書『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』によるからである。以来、そのいけばな部分の増補として『花伝書』の出版が繰り返され、いけばな(華道)の定式化は進んでいく。
 
欄外注本文)
 
  いけばなの基本形[Web]作者(筆者))   
 いけばな百科 スタイル
「生花」を中心に、いけばなの基本形に関する記述がある。「生花」作例ページは→[Web]
 
欄外注本文)
 
  大沢久守 (おおさわひさもり) 作者(筆者))   
 いけばな百科 流派・人物
永享2(1430)年〜明応7(1498)年
室町-戦国時代の山科家家司(けいし)・雑掌。通称は長門入道。
公卿山科言国(やましなときくに)に仕え、山科家の家礼(かれい)・室礼(しつらい)を行う。山科家の業務日誌『山科家礼記』(やましなけらいき)の記述者であり、そこには、禁裏や武家の花会で立花を立てた記述がある。
 
欄外注本文)
 



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